お正月
時間をかけて家の内外を掃除して清め、特別な飾り物をし、特別な料理を作り、ていねいに準備をして迎え祝うお正月。
お正月には年神様という、その年の新しい神様が訪れます。年神様は稲作の神様であり、年神様を迎えるお正月は日本人にとって、とてもたいせつな行事でした。
最近では一般家庭で門松を立てることも少なくなり、おせち料理をすべてこしらえることも少なくなりました。とはいえ、現在の生活スタイルに合った飾りやお正月料理を用意するなど、変化しながらも、新年を祝う心に変わりはありません。
時間をかけて家の内外を掃除して清め、特別な飾り物をし、特別な料理を作り、ていねいに準備をして迎え祝うお正月。
お正月には年神様という、その年の新しい神様が訪れます。年神様は稲作の神様であり、年神様を迎えるお正月は日本人にとって、とてもたいせつな行事でした。
最近では一般家庭で門松を立てることも少なくなり、おせち料理をすべてこしらえることも少なくなりました。とはいえ、現在の生活スタイルに合った飾りやお正月料理を用意するなど、変化しながらも、新年を祝う心に変わりはありません。
もともとは元旦と五節句に神様に供えた「節句料理」が「おせち料理」でした。それが特に重要な節句である正月の年神様に供える料理に限って「おせち料理」というようになりました。子孫繁栄などを願った縁起のよい料理を取りそろえて重箱に詰めます。
重ねた時にいち番上になる壱の重には、正月にふさわしい祝い肴を詰めます。
数の子・田作り・黒豆を「三つ肴」といい、正月には欠かせないものとされています。
関西では、黒豆ではなくたたきごぼうを加えた、数の子・田作り・たたきごぼうが三つ肴です。
子宝に恵まれ、子孫繁栄。ニシンの子なので「二親健在」にも通じる。
イワシが畑の肥料だったことから「田作り」「五万米」(ごまめ)と呼ばれ、豊作祈願の料理。また、小さくても尾頭付き。
まめに(勤勉に)働き、まめに(丈夫で元気に)暮らせるように。
ごぼうのように根を深く張り代々続く。たたいて身を開き開運を願う。
※三つ肴の他、お正月ならではのおめでたい料理が入ります。
半円形は日の出(年神様)を表す。おめでたい紅白で、紅は魔除けの意味があり、白は清浄を表す。
昔の伊達者(シャレ者)たちの着物に似ていたので伊達巻と呼ばれるようになったといわれる。「伊達」とは華やかという意味がある。巻き物が書物や掛軸に通じることから知識や文化の発達を願う。
「喜ぶ」にかけて
栗は「勝ち栗」と呼ばれる縁起もの。「金団」と書き、黄金色で縁起がよく蓄財につながる
「長老喜」「千世呂木」と書き、長寿を願う
黄身と白身の2色が金と銀にたとえられる。2色を錦と語呂合わせしているとも。
縁起のいい海の幸が中心です。
ぶりは大きさによって名前が変わる出世魚。ぶりで立身出世を願う。
「めでたい」にかけて。姿もよく味もよい鯛は、江戸時代から「人は武士、柱は檜(ひ)の木、魚は鯛」といわれ、めでたい魚として祝膳には欠かせないもの。
腰が曲がるまで長生きできるように。
山の幸を中心に、家族が仲良く結ばれるよう煮しめます。
穴があいていることから、将来の見通しがきくように
子芋がたくさんつくことから、子孫繁栄
頭となって出世をするように、子芋がたくさんつくので子孫繁栄
大きな芽が出て「めでたい」、子球がたくさんつくので子孫繁栄
根を深く張り代々続く
忌み数字の「四」は使わず、「与の重」とします。日持ちのする酢の物などを詰めます。
三段重の場合は、酢の物も焼き物などと一緒に、彩りよく詰めるとよいでしょう。
紅白でめでたく、祝いの水引にも通じる。根菜のように根を張るように
菊は邪気を祓いと不老長寿の象徴。
小肌はコノシロという魚の成魚になる前の名前。出世魚で縁起がよい。クチナシで黄色く染めた粟で、五穀豊穣を願う。
年神様から授かった福を詰める場所として空っぽにしておくか、家族の好物や予備の料理などを入れます。
今のように冷蔵庫がなかった時代、本来のおせち料理は、保存がきくお料理がほとんどです。日持ちがするという理由以外にも、年神様に静かに過ごしていただくため、台所で騒がしくしないという心配りも含まれていました。また、かまどの神様に休んでいただくためや、神聖な火を使うのを慎むためともいわれています。そして、年末年始、多忙な女性が少しでも休めるようにという配慮もあったかも知れません。
現代のおせちは、家族の好みのものを中心に、洋風や中華風の料理が入ったり、サラダのような生野菜が加わったりと、とても多彩になりましたが、先人のこうした知恵と心を大切にしながら、素敵な正月を迎えたいものです。
おせち料理をいただくとき、ぜひ使っていただきたいのが「祝い箸」です。
縁起のよい飾りものとして、門口や玄関などに松を飾します。松飾りは年神様が訪れるときの目印(依代=神が宿るもの)です。
しめ飾りは年神様を迎える神聖な場所を示すためのもので、玄関口や神棚などに飾ります。しめ飾りには、うらじろやゆずり葉、橙などがあしらわれていますが、いずれも縁起物です。うらじろは常緑であることから長寿、ゆずり葉は若葉がでてきてから古い葉が落ちるので、家督を子孫に譲り渡す、橙も家も代々栄える、といった意味があります。
もともは住んでいる地域の氏神様をお参りするものでした。一年間の無事を感謝し、新しい年の無事と平安を祈るものです。
初詣は松の内(元旦から1月7日)までにすませます。
現在はかわいいぽち袋に現金を入れて子供たちに渡していますが、もともとは年神様に供えた餅を神様からの頂き物として奉公人や子供に分け与えたのが始まりといわれています。
1月7日に、邪気を払う為に無病息災を祈って食べるのが「七草粥」です。七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)の若草を粥に炊き込み食べると、万病を払い長生きすると言われています。
また、正月のご馳走を食べて疲れた胃を休める意味もあります。この日に正月の門松や松飾りを取り外す土地も多く、一般に元旦からこの日までを「松の内」と言います。
初釜は新年最初に行なうお茶会で、お濃茶・お薄茶・そしてお懐石料理を食べて、新年をお祝いするお茶会です。
鏡餅は「お供え」と呼ばれるように年神様へのお供え物です。丸く平たい大小のお持ちを重ねる鏡餅は、円形なのは昔の昔の鏡に由来するとも心臓を模したものとも言われます。
鏡開きは、1月11日に供えていた鏡餅を下ろし、包丁などは使わずに割って、雑煮や汁粉などにして食べる行事です。刃物を使うのは縁起が悪いとされています。
神社の寺院の境内に、お正月の飾りに使った門松、しめ飾り、書初めなどを集めて燃やす火祭りの行事で「左義長」とも言われます。この火にあたったり、その火で焼いた餅を食べると無病息災でいられるといい、丈夫になるとされています。
1月15日は成人(満20歳)になった男女を祝う日として国民の祝日に定められ、現在ではその日を連休にする為に、1月の第2月曜日とされています。成人になると法律的に大人となり、全ての行動は自己責任となります。
成人式では、女性の華やかな振袖姿が定番になりましたが、振袖は女性の第一礼装です。しかしこれでなければいけないという決まりはなく、地域や時代によっても様々です。
「節分」とはもともと季節の変わり目の意味で、立春、立夏、立秋、立冬という季節の変わり目の前日を言います。現在では立春の前日(2月3日頃)の意味で使われます。
節分に行われる豆まきには、災いや厄が家に入り込むのを防ぐという意味があり、鬼を追い払い、福を迎える行事として行われるようになりました。豆をぶつけて追い払われる鬼は厄災の象徴です。豆は「鬼は外、福は内」と言いながらまき、まき終わったら、自分の年の数より1つ多く食べます。
また、節分の日にはその年の恵方を向いて、無言で太巻き寿司を1本食べると無病息災でいられるという風習があります。福を巻き込む→巻き寿司。 福を切らない→包丁を入れない。関西から始まったものですが、今では全国的に定着しているようです。
バレンタインデーは、女性が男性にチョコレートを贈って愛を伝える日として定着しています。
由来は古代ローマ時代。ローマ皇帝クラディウス二世は強兵策として若い兵士の結婚を禁止していました。これに反発したキリスト教祭司バレンティノは多くの兵士を結婚させましたが、皇帝の怒りを買って処刑されてしましました。処刑された日が、聖バレンティノの日として愛の日になったと言われています。
世界的には男性が女性にカードなどを贈る日とされています。チョコレートを贈るのは、日本発信の習慣です。
現在では、挨拶、感謝の気持ちで贈る”義理チョコ”、女性同士で贈り合う”友チョコ”や、有名チョコラティエの作る”本命チョコレート”、自分のために高級チョコレートを楽しむ”ご褒美チョコレート”なども増えてきています。
女の子の健康と幸福を祈って行われる3月3日のひな祭り。桃の節句とも言います。
もともとは五節句のひとつ、上巳の節句です。古代中国ではこの日に川に入って穢れを祓う風習がありました。これが平安時代の日本に伝わり、紙や土で作った人形を川に流すことが行われ、この人形が精巧なものになり、ひな祭りに発展しました。
ひな祭りには、ひな人形を飾り、ちらし寿司、はまぐりのお吸い物、ひなあられ、菱餅、白酒などでお祝いをします。
関東と関西では内裏びなの飾り方が左右反対です。現在は関東の並べ方が一般的になっているようです。
古くから御所を中心として考えられており、内裏様から見て左右が決められています。向かって右に左大臣、左に右大臣(随身)を飾り、内裏様の下には、三人官女(内裏に仕える女官)、五人囃子(お囃子を演奏する人たち)、仕丁(宮中の雑用をする人たち)を従え、嫁入り道具を並べた七段飾りなども人気になりました。
ひな人形はその子の身代わりでもあるとされているので、一家にひとつではなく一人ひとつずつ用意するのが基本です。
ホワイトデーは、バレンタインデーにチョコレートをもらった男性が3月14日にお返しをするというイベントです。バレンタインデーと同じで、ホワイトデーも日本発信のイベントです。
「彼岸」とは仏教用語で、ご先祖様の霊が住む世界を意味しています。亡くなった人が、この時期に帰ってくると考えられています。
彼岸は、初日を「彼岸入り」といい、春分の日(秋分の日)を「中日」とし、最終日を「彼岸明け」といいます。春分の日(秋分の日)の前後3日間、計7日間です。この時期に、お墓参りや先祖供養を行うようになりました。
「ぼた餅、おはぎ」は墓前に供えるもので同じものですが、小豆の粒を萩の花に見立てて「お萩」、牡丹の花に見立てて「牡丹餅」と呼んだことから、厳密に言うと春はぼた餅、秋はおはぎです。
花見を楽しむ風習は古くからあり、奈良時代の貴族がはじめたと言われていますが、当時は梅の花見で、桜になったのは平安時代です。農民にとっては桜の開花を目安にして農作業を始めるといった農業と関わりの深い行事だったそうです。
桜が咲くとその年の豊作を願い、お酒や食べ物などのお供物を捧げ、そのおさがりを桜の木の下で頂き、農作業で忙しくなる前のひとときの憩いの時にもしていました。その後、庶民のレクリエーションとして発展していき、今のようなお花見になりました。
日本では、4月1日から翌年3月31日を「年度」としてくくっています。4月に年度があらたまり、小・中学校、高校、大学などの学年は、新学年がスタートします。
また会社でも新年度がスタートとなり、入学式や入社式が行われます。
4月下旬から5月上旬にかけて休日が続くゴールデンウィーク。
この間の祝日は、4月29日「昭和の日」、5月3日「憲法記念日」、5月4日「みどりの日」、5月5日「こどもの日」の4日。これに土日が絡んで休みが続き、大型連休となります。
ゴールデンウィーク(Golden Week)は和製英語で、放送業界用語の「ゴールデンタイム」(高視聴率をとれる時間帯)をヒントに「黄金週間」と命名し、よりインパクトの強い「ゴールデンウィーク」と呼ぶようになりました。
5月5日は、現在ではこどもの日とされていますが、もともとは端午の節句。男の子がたくましく健やかに育つことを願う行事です。
端午というのは月の初めの午の日、という意味で、古来中国では5月5日は病気や災厄を祓う、節句の日でした。その行事と、日本で厄除けとして野草である蓬を摘んだり、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う行事が結びついたです。
鯉のぼりを掲げ、かぶとや武者人形を飾り、ちまきや縁起物とされる柏餅を食べて祝います。
「ここを登る魚は竜になる」という黄河の竜門の急流を、鯉だけが登り切ったことから「鯉の滝登り」といわれ、鯉は立身出世のシンボルになりました。鯉が滝を勢いよく登る様をイメージして「鯉のぼり」としてを飾るようになったとされていますが、男子誕生の喜びを世間に広く知らせるために戸外に立てられるようになったようです。
母の日は、アメリカ由来の行事です。ある女性が亡き母の命日である5月9日に、教会で白いカーネーションを配ったのが始まりとされています。これが全米に広がり、5月の第2日曜日を「母に捧げる祝日」と決めました。その後日本にも伝わり、母の日として広く知られるようになりました。
カーネーションは、世界共通の母の日の贈り物です。かつては、母が存命であれば赤、亡くなっていれば白といわれました。現在では赤やピンクのカーネーションが多く、アレンジメントや鉢植えも人気です。
田植の時期は桜が咲く頃、4月〜5月です。田植の頃はその年の豊作を願う「田植祭り」が各地で行われています。
季節に合せて着るものを替える「衣更え」は日本独特の行事で、平安時代に始まりました。学校や会社の制服が冬服から夏服に替わるのは、6月1日というのが一般的です。これに対して10月1日は夏服から冬服への衣更えの日となっています。
また最近では、ネクタイや上着をなるべく着用せず(いわゆる「ノーネクタイ・ノージャケット」)、28度以上の室温に対応できる軽装の服装を着用するように呼びかけた、「クールビズ」という取り組みも定着してきています。6月1日から9月30日までを実施期間としている。
アメリカで、母の日に対して、男女平等の立場から生まれたのが父の日です。母を亡くし、父親に男手ひとつで育てられた女性が、父親にも感謝をあらわす父の日の制定を提唱したのが始まりと言われています。6月の第3日曜日を父の日としました。
梅の花が咲くのは1・2月。6月はちょうど梅の実が黄色く熟す季節で、その時期の雨だから「梅雨」と呼ぶのだと言われています。
「入梅」は、立春から数えて百三十五日目にあたる暦の上での雑節です。晴天から曇雨天へ移り変わる中間の日を「梅雨入り」とします。近畿地方では六月上旬から中旬あたりになります。太平洋高気圧が夏にかけて強まり、オホーツク方面の気温も高まるにつれて「梅雨前線」は衰え、「梅雨明け」となります。この間、約一カ月半です。
6月初旬から中旬にかけて収穫された梅の実を酒で洗い塩漬けにしたものが「梅干し」です。梅雨の季節は体調を崩すことが多い為、これを乗り切るには最適な食品です。
昔、名のある山は信仰の対象で普段は登山が禁じられていました。しかし夏の一定期間だけ信仰行事として解禁され、この時期だけ許された登山を行うに当たり、神の保護と安全を祈願したのが山開きの起源といえます。
海開きは、「大きな事故なくその年の海水浴シーズンを過ごせますように」という願いをこめた行事になっています。海水浴の解禁日で、時期は地域によって異なりますが、温暖な地域は4月に海開きするところもあります。一般的には7月1日あたりが多いようです。
竹笹に短冊や飾りものをつけ、願い事を書いて星に祈る七夕。
もともとは五節句のひとつで七夕(しちせき:7月7日の夜の意味)と呼ばれました。星祭という別名もあります。牽牛星(鷲座の彦星)と織女星(琴座の織姫)とが一年に一度逢うという伝説から生まれた行事です。
また、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という行事と、日本にあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説とが合わさって「七夕」ができました。ここから、様々な手習いごとの上達を願う行事ともされています。
竹笹には短冊の他にもさまざまな飾りをつけますが、そのひとつひとつに意味があります。
「お中元」は中国から伝わり、日本の習慣と合わさって日本文化として定着したものです。昔の中国では1月15日、7月15日、10月15日を 「三元」として祝う習慣があり、7月15日を「中元」として半年間の無事を祝い、祖先の供養をしました。それが日本のお盆の行事と結び合わさり、独特の行事となったのです。これを機に親類や知人と訪問し合い、また集まって久しぶりの無事を確かめ合い、その際お互いに贈答をするようになっ たのです。この贈答の習慣をお中元と呼ぶようになりました。「お中元」を贈る時期は地域によって違いますが、一般的には7月15日ごろまでに贈ります。それ以降は「暑中御伺い」、立秋すぎは「残暑お見舞い」で贈る傾向にあります。しかし地方では、8月15日頃が「中元」の風習になっています。これは陰暦と陽暦の違いによるもので、「お盆」と「中元」が同時期にあって、互いに関連して いる地方での風習のほうが、ことの起こりに近いようです。
今は土用というと立秋前の土用を指すのが一般的ですが、本来は立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を指します。立秋前の夏の土用は、ことのほか暑さの厳しい時期です。昔から、この時期には土用うなぎ、土用餅、土用しじみ、土用たまごなどといって、精のつく食べ物をとり、健康に気を配る習慣がありました。土用の丑の日のは、「う」のつく食べ物、うりやうどん、梅干しなどを食べると夏バテしないとも言われていました。
子供時代の夏休みというと、当然と思っていたものですが、実は法令できっちりと定められています。大学を除く公立学校に関しては、地域の教育委員会がだいたい7月21日〜8月31日と定めていますが、寒冷地では冬休みを長く、夏休みを短くして暮らしの実態を合せています。
大人の夏休みはというと、欧米やフランスなどは2〜4月間の長期休暇をとる社会週間がありますが、日本では多少定着してきましたが、まだまだ少ないようです。最近になって、お盆休みや有給休暇などをつけて長期の夏期休暇をとる会社も出てきました。
夏の夜空を豪快に、そして繊細に彩る花火は、夏の風物詩として全国各地で花火大会が行われています。日本の花火の技術は世界的にも有名です。今は大型の打上花火、仕掛花火が全般です。
浴衣での花火鑑賞に出かける姿は、定番となっていますが、浴衣はもともとは湯上りに着る着物でした。柄ゆきや着こなしによって夏の遊び着としても着られるようになりました。
お盆は「盂蘭盆会」ともいい、先祖代々の精霊を迎え供養する仏教行事です。お盆は新暦の7月15日に行う、月遅れの8月15日に行うなど、地域によって違いがあります。一般的なお盆の期間は、8月13日〜16日までですが、東京や函館などでは7月に、沖縄などでは旧暦の7月15日に行われています。
前年のお盆以降に亡くなった人がいる家では、新盆、初盆と呼び、手厚く供養する習わしもあります。祖先の霊を慰めるために、13日の夜から3日3晩、菜食を主とする「精進料理」を食べ、旬の果物や収穫物などを供えて法要します。この時期に連休を取り、帰省する習慣は全国的にも定着しており、帰省ラッシュでお盆の時期の交通は混み合います。
旧暦の8月15日の月を鑑賞する「お月見」。この日は、「中秋の名月」、「十五夜」ともいいます。中秋の名月を鑑賞する習慣は中国から伝わったものです。日本の秋は、夜気が澄み月が美しい季節であるとされ、十五夜は特に1年のうちで最も美しい月とされます。十五夜には、満月に見立てたお団子や、里芋(衣かつぎ)、お神酒などを供え、魔除けの力があるといわれるすすきを飾ります。新暦で毎年日にちが変りますが、(9月中旬頃から下旬頃)各地で観月祭や月見の会が催されます。
敬老の日は、もともとは9月15日でしたが、国民の祝日として9月第3月曜日に定められ、15日〜21日は「老人週間」となりました。「人生の先輩として長年にわたり社会や家族の為に尽くしてきたことに感謝し、老人を敬い、長寿を祝う日」が敬老の日です。
各地で敬老にちなんだ行事が行われ、家庭では、父母や祖父母をねぎらってお祝いを贈ったり、ご馳走を作ったりします。
「春の彼岸」と「秋の彼岸」があり、前後7日間で中の日を、春分の日(3月21日)、秋分の日(9月23日)といい、初日と最終の日をそれぞれ「彼岸入り」「彼岸明け」といいます。
春分の日と秋分の日は、昼と夜の時期が同じで、季節の変わり目でもあります。
夏の衣更えに対して、10月1日の冬の衣更えは「後の衣更え」といい、学校や会社の制服が夏服から冬服に替わります。
稲が熟する秋に、その穂ごと切り取るのが稲刈りです。稲刈りは、日本の秋の代表的な風物でもあります。この時期には、その年の稲が無事に収穫されたことを祝い、来年も豊作であることを祈願する「秋祭り」なども各地で行われます。
11月1日はキリスト教の万聖節(全ての聖人を記念する祝日)であり、万聖節の前日の10月31日が「ハロウィン (Halloween)」です。
秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りです。
アメリカなどでは、子供たちが魔女やお化けに変装して「Trick or Treat!(ご馳走くれないとイタズラするぞ)」と言いながら近所の家々を回り、お菓子をもらう習慣があります。
ハロウィンは、古代ケルト民族の先祖の霊を迎える儀式に起源があるといわれます。古代ケルト暦の10月31日は大晦日にあたり、ご先祖様の霊が帰ってくる日とされていました。ハロウィンのシンボルであるカボチャのくりぬき提灯「ジャック・オ・ランタン」は、先祖の霊が迷わずに帰るための目印といわれています。最近は日本でも、パーティやイベントが開催され、様々な関連商品も販売され、イベントとしてかなり定着してきました。
11月15日に行われる七五三は、3歳、5歳、7歳になった子供の成長を祝い、これまで無事に育ってこられたことを感謝する行事です。3歳は男女、5歳は男の子、7歳は女の子が一般的ですが、年齢や男女、祝い方が異なる地域もあります。七五三には寺社に参拝し、お祓いをしてもらいます。
毎年11月の酉の日に、各地の(大鳥)神社で行われる祭礼を酉の市といいます。来る年の開運招福、商売繁盛などを祈って行われるお祭りで、江戸時代から始まりました。最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」といい、「三の酉」まである年は火事が多いという言い伝えもあります。
酉の市で有名なのが縁起熊手です。「福や金銀をかきこむ」として、商売繁盛、開運招福の縁起物とされています。
また宝船の置物などはじめ七福神やおかめ(お多福)も人気の縁起物です。
歳暮は1年の締めくくりの意味で、日ごろお世話になっている方に、感謝を込めて贈るのがお歳暮です。
もともとは新しい年を迎えるにあたって、祖先の霊に供える塩鮭するめ、数の子や塩鰤などを親族や両親に届けたのが由来とされています。
贈る時期は12月初旬から25日頃までです。季節感が重視されるので、遅れると意義が薄れます。時機を逃してしまったら、年明けにお年賀や寒中お見舞いとして贈ります。
クリスマス(Christmas)とは、「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という意味です。イエス・キリストがこの世に生まれたことを祝うキリスト教の祝日です。日本では宗教色は薄く、プレゼントを贈りあい、一般家庭でもパーティーを楽しむ年末の華やかな国民的行事として定着しています。
クリスマスに飾られるツリーには、常緑樹を使用します。「常緑」は、強い生命力を持って一年中葉を茂らせる緑=「永遠」を表し、さらに永遠の愛、イエス・キリストが与える永遠の命の象徴です。
一年で昼間の時間が最も短くなる日が冬至です。この日を境にまた日がながくなることから「一陽来復」ともいいます。冬至以降、いっそう寒さが厳しくなります。
ゆず湯に入って体を温めたり、小豆粥や栄養価の高い南瓜を食べるなど、様々な習慣があります。いづれも無病息災を願う習慣です。
毎月30日(月末)を「晦(みそか、つごもり)」というので、1年最後の晦(12月30日)は「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」といいます。
元旦には年神様という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるので、年末最後の大晦日は、年神様を寝ないで待つ日とされていました。その前にお祓いをするために、寺院では深夜零時をまたいで108回鐘をつきます。怒りや嫉妬など人間にある108の煩悩を鐘の音で絶つ為といわれています。
また大晦日には、縁起もののそばを食べて新しい年を迎える習慣があります。細くて長い形状にあやかり長寿と幸福を願う、そばの実は邪気を払う三角形なので旧年の災厄を切る、などから、そばが縁起ものとされました。